ほんの少し昔のこと。
王宮の一室にスモール・ソーサー后とサーヤ夫人、ゴッキ公爵夫人が集まりました。
それぞれの手には袋に入った何かが握られていました。
その日偶然にもマーサ妃は特設厨房へ向かう三人に出合ってしまいました。
「皆さまお揃いですね」
「わたくしたちは仲良しですもの」とサーヤ夫人。
「ほほほ、これからケーキを焼くのよ。“三人で”ね」
スモール・ソーサー后の言葉にマーサ妃の表情が曇りました。が、すぐに笑顔を向けました。
「それは素敵ですね。わたくしもご一緒できたらうれしいですわ」
「そうね。でも今日は三人でよろしいのではないかしら。ご免あそばせ」
ソーサー后の笑顔を伴う冷たい言葉を聞くとサーヤ夫人とゴッキ夫人はこれでもかと口角をあげました。
「次はご一緒させてくださいませ」
寂しそうな笑みを浮かべ踵を返したマーサ妃の背中が小さくなる間、三人は黙ってその姿を見ていました。
マーサ妃の姿が完全に見えなくなると目的の場所へ向かいながら三人は話しだしました。
「まあ、いつも笑っている変な方ね。少しはお母様をみならって、王室になじんでいただきたいわ」
「サーヤったら、あれでもナールの妻なのですよ。わたくしはいつでもマーサのことを気にかけているのです」
「さすがおかあさみゃですわ。わたくしもおかあさみゃみたいになりたいでしゅわぁ。でしゅから眉と口元を真似しておりましゅのぉ」
ゴッキもサーヤに負けじと后を持ちあげました。
三人が連れ立ってやってきたのは特設厨房です。ソーサー后の希望でつくったもので、后専用の厨房なのです。
中へ入りしっかりと鍵をかけると早速大鍋を用意しました。
火にかけた鍋を囲むように三人はたち、順に持ち寄ったものを入れ始めました。
「媚薬の材料のイモリの目玉とトカゲの黒焼きはゴッキが持ってきたのよね」
「はい、おかあさみゃあ、持って参りましたぁ。ヘビの舌もごじゃいますぅ。うちには何でもごじゃいましゅの」
ゴッキが黒い塊をぱらぱらと入れます。
「ヒキガエルはサーヤの担当ね」
「ふふふ、丸々太ったカエルですわ。ノワゼットに捕らせましたの」
「まあ、いい夫を持ってよかったわね」
ソーサー后がにっこりと笑いました。
それから玉ねぎ、いらくさ、鹿の角など次々と入れ鍋で煮、三人とも手に巨大なスコップを持ってかき混ぜながら呪文を唱えました。
「きれいはきたない、きたないはきれい」
(これでいや増して人気者になるわ)と后は思いました。
(わたしを振った者どもを見返してやるわ)とサーヤ夫人は考え、にたあと笑いました。
(媚薬があればマーサなんて目じゃないわ)イヒヒとゴッキ夫人が笑いました。
鍋の中身をぐるぐる混ぜると徐々に色は黒ずみ、饐えた臭いが漂ってきました。
「く、臭いわね。本当にこれで媚薬ができるのかしら?」
のけぞりながらソーサー后が言いました。
「そのはずですわ」
やはりのけぞりながらサーヤ夫人が答えます。
煮詰まってどろっとしたコールタールのような媚薬は容赦なく臭いを撒き散らしていました。髪や服にもその臭いが纏わりついていました。
「さ、さあ、サーヤ。試しに一口飲んでごらんなさい」
スコップですくった媚薬をサーヤ夫人の前にさしだすと、后の言葉とはいえ本能で体が逃げてしまいました。
「では、ゴッキ、お飲みなさい。わたくしは人気者ですから媚薬は最後で結構」
ゴッキ夫人は鼻を穴をきゅっとすぼめてひきつった笑いを浮かべました。
「おかあさみゃを差し置いてわたくしが飲むなんてできましぇんわぁ」
三人は鍋から上がる黒い煙の中ひきつった笑顔でしばらく媚薬を譲り合っていました。
ついにソーサー后がサーヤ夫人の口元へ押しつけるように媚薬を乗せたスコップを持って行き、じっと見つめました。観念したサーヤ夫人が口を開き、流れ込んだそれをごくんと飲みました。
その瞬間、サーヤ夫人は痺れを感じ、白目をむいて口を開いたまま棒立ちになってしまいました。
「あ、あら。口に合わなかったかしら?ゴッキはどう?」
言うが早いかスコップをゴッキをめがけて振り回しました。しかしゴッキもほぼ同時に自分のスコップに媚薬を山盛りにしてソーサー后に向けていました。
スコップがぶつかり合い、のせていた媚薬が飛びました。
「ヤバイッ」
「ぎゃあっ」
二人が声をあげ、開いた口に媚薬が入りました。
サーヤ夫人同様に二人とも白目をむき、口を開き、両手をだらんと下げたまま動けなくなってしまいました。
しばらくすると少しだけ動けるようになり、ゆらゆらと身体を揺らして何とか厨房から出ようとするのですが、すべての感覚が麻痺したようになり、ただ揺れるばかりでした。
その姿はさながらゾンビを演じる役者のような、あるいは歩きまわる影ぼうしのようでもありました。
王宮で怪しげなことが行われて数時間後、ナール王子の宮殿の庭でお茶の用意を始めたマーサ妃に王子が言いました。
「王宮の方で異臭騒ぎがあったと聞く。万一に備え今日は中で頂くことにしよう」
「まあ、少し前に王宮へ行きましたが特に臭いはなかったのですけど…その後に何かあったのでしょうか?サーヤ様とゴッキ様もいらっしゃったのですよ。ご無事でしょうか?」
「被害が出たとは聞いていないが、何かあれば知らせが来るだろう。貴方に何かあってはいけない、さあ中へ」
王子がマーサ妃に言葉をかけるとそれを合図にメイドたちは手際よくテーブルを片づけました。
王子に手を取られマーサ妃は幸せを感じながら宮殿へと戻って行きました。
後日判明したことですが、后たちが作っていた媚薬は蝙蝠の羽が足らず痺れ薬になってしまっていたそうです。そしていつまでもあの臭さが取れないような気がしたのです。
その痺れのためスモール・ソーサー后は大好きなテニスを少しだけお休みしなければならなくなったのでした。
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