The collected short stories 
    of  Destiny Angel

空想小説「三回目の季節」  【下】
侍従長は、T侍従長と同期で、生涯を一侍従のまま過ごしたS氏から、この事件の内情らしきものを聞いた事があった。
 
一人目のミコトは、たった一人の皇族になる運命を負って誕生したのだった。他の皇族は皆、年上であったために順々に他界して行き、また女性皇族は、結婚して皇室を離れていった。それ以前のいきさつから、女性も皇統をつなぐべきという世論が起きるかもしれず、そしてその時に命を狙われかねない恐れから、女性皇族達は競うように国際結婚をして日本を離れていった。
櫛の歯が抜けていくように減っていく皇族の中で育った一人目のミコトは、どのような気持ちでいただろうか。
やがて、皇族はミコトと皇太后の二人だけとなった。
 
そして、ミコトのおキサキ候補も飛ぶように逃げていった。こればかりは皇太后の根回しも意味を成さなかった。結婚してミコトのキサキになれば、自由は奪われ、常に監視され批判され、親戚一門も批判を受け、世継ぎとなる男児を授かるようホルモン投与や治療を受け続けなければならない。生き地獄のような生活が待っているのだ。中にはおキサキ候補になったがために、恐ろしい苦労するくらいならと川に身を投げる娘まで出る始末であった。
 
おキサキ探しは長く長く続いた。その末にようやく、皇太后の親戚筋からおキサキになることを受けいれる女性が一人だけ現れた。新興企業の社長で、政治団体の顧問もする人物の娘だった。
ところが、彼女との大切なお見合いの席で、一人目のミコトは、おキサキ候補と目を合わせずにタメ息をつき、ついには居眠りをしてしまったと言う。皇太后は大変に驚き怒ったそうだ。S氏によればミコトが自らの意志を表すこと自体ほとんど無かった事なのだから。
ミコトの気持ちがどうであろうと、おキサキ候補が決まったからにはご成婚へ進めるべきと、皇太后も役人達も考え準備がなされていった。一方で、ミコトは各地へ巡幸していた。なるべく沢山の公務をすることが当時の皇室では重視されていた。
 
その日、ミコトは瀬戸内海を航行する船の上にいたと言う。厳島神社の菊花祭に出席し、そこから周防大島へ、みかん鍋の品評会の列席という公務へ行こうとしていたのだ。
甲板から陸の人々へ挨拶をしながら、厳島神社の朱の大鳥居も遠ざかり、沖に3キロばかり行った時に、少しばかり高い波がグラリと船を揺らした、その時突然、ミコトが甲板から海へ落ちた。いや、自ら海へと跳んだようにも見えたと言う。
「波の下の都へ行く」と言って降りたと、まことしやかに言う者もあった。また何者かに引かれるように甲板のヘリに進んで行ったと言う者もあった。しかし、その真相はわからないとうのが、S氏の話だった。
 
海上警察の捜索によりミコトは救出されたが、残念な事にもはやご遺体であった。すると、当時の皇太后と役人達は直ちに、ミコトの精子を取り出し冷凍保存をした。実はまだ息のあるうちだったという噂もあった。そして、おキサキ候補に緊急の連絡が行き、この精子で男子を孕むようにとの打診がされた。しかしながら、おキサキ候補はそれをすっぱりと断ったと言う。その理由は、彼女はご成婚のパレードを楽しみにしていたのであり、皇后として華やかに装いたかったのであり、いきなり未亡人になり大宮御所に住むのでは、窮屈なばかりで割が合わないという事だった。
皇太后は半狂乱となったが、相手がそれなりの力を持った家だったので、それ以上圧力はかけ辛かった。そこで、今度はミコトの遺体の体細胞が採取され、そこからクローン技術で受精卵が作られた。そして米国でその受精卵により代理母が妊娠し、月満ちて出産をした。こうして「二人目のミコト」が生み出されたのだった。このご誕生のための技術については、S氏に聞く前から、侍従は宮中のたしなみとしてそれとなく教えられていた。
 
体細胞クローンで生まれた二人目のミコトは表向きは「ご落胤」として発表された。おキサキ候補を探す手間よりも、初めからこうすれば良かったと思った側近達も多かった。また、国民の多くが真実を感じ取っていたが、さほど問題視する者は出なかった。倫理を皇室に期待する国民などもうすでに居なかったのである。
皇太后の気持ちの切り替えは思いの外早かった。彼女は一人目のミコトについては忘れ、二人目のミコトを溺愛しながら亡くなった。
しかしながら、二人目のミコトも、家族も友人もない寂しさと不安、生涯独身という虚しさ、そして自分の意志が全く意味を持たないミコトという役割に押しつぶされ、僅か26歳で皇居の森の中から黄泉の国へ旅立ったのだった。
生まれることさえ管理されるミコトにとって、命を絶つことが最大の自由とは、なんという皮肉なのだろう。
 
老侍従長は思った。今度は自分が「四人目のミコト」の生成を指図すべきなのだろうか? いや、やめよう、もう痛々し過ぎる。
 
侍従長は、老体に力を込めて、床に倒れている三人目のミコトをベットの上に運び横たえた。
体を柔らかな姿に整え羽の布団を静かにかけた。ミコトの顔は、安らかに寝ているようにも見えた。「ミコトはお休みになりたいのだ。このお体にメスなどを入れてはならない。安らかに葬むって差し上げなければ。」
彼は考えた。人ではなく「冷凍受精卵」そのものを「国の象徴として崇める」ことはできないのだろうか?
侍従長は、他の侍従達の意見を束ねた。多くの侍従がミコトへの囚人環視のような役割に疑問を持っていた。そしてお役人達は、多数の侍従を説得する手間を厭い、「冷凍受精卵」を国の象徴とすることをすんなりと受け入れた。彼らは役職が無くならず手間が省けるので、むしろ内心喜んでいたかもしれない。
侍従長と侍従達は、つつましやかながら三人目のミコトを送る大喪の礼を行い、ミコトを御陵に葬った。二人目のミコトは一人目のミコトと同じ御陵に葬られていた。しかし、三人目のミコトのためには、小さいながら新しい御陵を作ってさしあげた。こうして、この国から人としての皇族がいなくなった。
 
しばらくして、侍従長の夢に三人目のミコトが現れた。
夢の中のミコトはジョギングに行く軽快な服を着ていた、「私はこの生が一番幸せだった。ありがとう。少年に戻って待っているから、いつかこちらに来たら、また肩車をしておくれ」そう言って、薄日のように切なく笑った。
 
老いた侍従長は、起きた床の中から朝の空を見あげ、そして静かに微笑んだ。
 
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Last updated: 2012/2/27