The collected short stories 
    of  Destiny Angel

空想小説「三回目の季節」 【上】
「今日は蝉が良く鳴くな、もう秋なのに」。
21世紀の終わり近くのある日、老いた侍従長はそう考えながら青く澄んだ空を見上げた。そして、こんな日が前にもあったような気持ちになった。
今日、ミコトはいつもより元気に朝のジョギングをされた。侍従長は少しほっとしていた。ミコトの気鬱が少し良くなったように思えた。
ジョギング後のシャワーを浴びる水音はもう止まり、蝉の声だけが良く響いていた。
 
思春期になってから、ミコトはいつもどこか物憂げだった。いや、子どもの頃も寂しげだったと言っても良いだろう。学校でも、他の子は、特に女の子は、友人にならないように、そして関わらないで済むように、ミコトを遠巻きに見ているばかりだった。そんな中で孤独に一人遊びをするミコトはどんな気持ちでいただろうか。
侍従達は、ミコトを励ますために、夏祭りや冬の星祭りなどを宮中で催した。ミコトはそんな時に、少し弱々しい、はにかんだような笑顔を見せていた。その切ない笑顔が老侍従長には愛おしかった。
しかし、このところ、気鬱に悩むミコトからは、そんな薄日のような笑顔さえ消えていたのだ。
 
「また少しでも笑っていただきたい」、そんな風に思い巡らしながら蝉の声を聞いていた侍従長は、はっとしてミコトの寝室に駆け込んだ。そして呆然と立ち尽くした。
 
ミコトは静かに床に横たわり、そして、すでに事切れていた。
「18歳になったのに・・・目を離した私がいけなかったのだ・・・」。
髪はすでに綺麗に拭かれていた。おろしたての白いガウンを羽織り手元には小さな薬の瓶が落ちていた。覚悟されての自死だったのだろう。
本来なら活き活きとした青春の盛りに、薄日が消え入るように静かに逝かれたミコト。余りに儚く痛ましかった。侍従長の眼鏡が涙の湿気で曇っていった。
彼の胸に、19年前の記憶が蘇った。
 
あの時も、当時26歳だったミコトが亡くなられたのだ。そうだ、こんな蝉の良く鳴く秋の日に。
皇居の森の散策に行くと言って、そのまま帰りが遅いミコトを探しに行ったのは、今よりも若い日の自分と当時の侍従長のTであった。
梢が夕日で黄金色に染まった森を歩き回り、ミコトの名を呼んでも答えはない。そうしているうちに、下草に埋まるようにして木々の間に倒れているミコトを見つけた。震えが止まらなかった。あたり一面の葉の緑を血が赤く染め、ミコトの顔は蝋のように白くもう脈は無かった。それでも一縷の望みをかけて救急隊を呼ぼうと、取り乱す侍従の自分に比べ、T侍従長は冷静だった。
「これは事故である。そして、すでにご落胤がいるので皇統の心配はないと、各方面には伝えるように」。T侍従長は言葉に詰まることもなく、ごくごく事務的に語った。
自ら命を絶った若きミコトへの哀悼はないのか! 侍従はブナの葉をむしりながら一人で涙を流した。
あの時も、蝉が盛んに鳴いていた。
 
そして、多分、冷凍されていた受精卵の一つが解凍されたのであろう、ほどなくして新たなミコトが名を伏せた民間代理母により懐妊とのニュースがちまたに流された。そして月満ちて誕生したのが、この「三人目のミコト」であった。
 
日本の人口が減りだしてから何十年も経っている。観光は重要な産業となり、日本の文化イメージ戦略の上で、神社や古い都は大きな意味を持っていた。皇室には続いてもらわなければならない。ミコトは居なければならない。そして、ミコトは居さえすれば良いのだった。
 
侍従には、周囲の都合だけで生み出された「三人目のミコト」が哀れでならなかった。そしてせめてこのミコトだけは少し幸せになって欲しいと、幼い時から心を込めて仕えたつもりだった。いつしか彼は侍従長になった。
星祭りの日にはミコトを肩車をして歩いた。ミコトは星をつかもうと夜空に手をのばした。すると、役人達から「怪我につながる可能性のある事をするな」と注意が入り、肩車は禁止されてしまった。
そんな窮屈な暮らしの中で、自分ができた事はどれほどの事だったろう?。
成長して己の立場を知るにつれ、ミコトは気鬱の波におそわれるようになった。
なんとかしたいと侍従長は努力をしたのだが、お役人に頼んでも精神科医の一人も差し向けてはもらえなかった。
今は静かに部屋の床に横たわる三人目のミコトは、もう何も語らない。
 
19年前に26歳で亡くなったミコトも、すでに「二人目のミコト」であった。
その27年前まえに「一人目のミコト」が、37歳で船から落ちるという事件があったのだ。それは今は老いた侍従長が、まだ学生だった頃に起きた出来事だった。
 
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Last updated: 2012/2/27