初めのうち石の中に封じられた妖狐は毒を撒き散らしながらも浄化されこの苦しみから逃れられることを求めて耐えていました。
しかし時が過ぎるのを待つうちにその本性である『不徳』を望むようになり、いずれこの石を飛び出そうと狙っていたのです。
時は『仁』と『徳』のミカドの御代でした。
ミカドは封印の地を愛しておられ、ミカド自身が気づいてはいませんでしたが妖狐の力を抑えていたのです。
石は風雪に耐えるうちに封印の石はひび割れ小さな破片が落ちていきました。
裂け目から外をのぞき見るうちに妖狐は早くこの世を乱したいという願いを強くするのでした。
しかしいまだに妖狐の力は弱いままでした。
ある夏の雷雨の日、雷の力によって石が少し裂けました。その隙間から妖狐は自らの分身として小さな蟲を外へ出しました。
蟲はしばらく蠢いたのち羽根を広げ飛び去りました。
妖狐の依り代を探すためです。
蟲はある女性をみつけました。
「なんとよき依り代よ。我とともにこの世をば食いつくさん」
蟲はすうっとその胎に入りました。まるで自分の身体のようにしっくりとなじみ、蟲を通して妖狐は満足したのです。
そうして生まれたのがアヤメノキミでした。
アヤメノキミの一族は妖狐にとっても都合のよい者たちばかりでした。おのれの欲望に忠実で、他者の痛みなど意に介さない者たちでした。
妖狐の分身である蟲はアヤメノキミの中で獲物を探しました。アヤメノキミはアズサノミコに近づこうとしました。
しかしアズサノミコからは清らかな光が発せられ、凶獣である妖狐の分身には近づくことすらままなりませんでした。
そこでアヤメノキミの父サルガテテの手を借り、アズサノミコの弟トガノキミに狙いを定めました。
このトガノキミは清廉なアズサノミコとは違い享楽的に生きていました。妖狐にとっては恰好の獲物です。
妖狐はその名の示すとおり『来つ寝』の精です。
変化を覚えた老いた狐は人の女の姿に化け、人の男の元へ通い、妻となるのです。
『来つ寝』が今までそうしてきたよう行動し、アヤメノキミはトガノキミを籠絡したのです。
しかしそれだけでは妖狐の望む滅びには足りませんでした。
多くの傀儡(くぐつ)を作り出し、トガノキミが遠くの地へ行く時は傀儡を送り、他の誘惑にかられないように見張りました。
また、別の傀儡にはアヤメノキミの存在を流布させ、トガノキミが逃げられないように仕組みました。
それでも時のミカドの御代にはそれ以上はかないませんでした。
時が経ちミカドがかむあがられ、新しいミカドが立つと妖狐は大きな口を開き赤い舌を見せながら悦びました。
かつてオンミョウツカサの妻となった『来つ寝』がいました。
この『来つ寝』は善き狐精でした。
その能力を引き継いだ子孫は、妖狐の化けた女性(にょしょう)の企みを暴き石に封じたのです。
目覚めた妖狐はオンミョウツカサが既にいないことを知り嬉しくなりました。
ほとんどの霊獣たちが中つ国を去った今では妖狐を邪魔だてする者はもはやいないのです。
「ついに我の望む日が訪れん。こたびはしくじるまいぞ。必ずや国を滅ぼさん」
そうして小さな裂け目から嬉々として飛び出し分身である蟲の待つアヤメノキミの中に入りました。
多くの霊獣たちは天に去った後でした。誰も妖狐を止める者はいません。
またあまりにアヤメノキミとの相性が良かったためか他の霊獣たちにも妖狐の存在は深く隠されてしまったのです。
ついに妖狐はトガノキミの妻となり、宮城へ入り込んだのでした。
妖狐は次にミカドへと近づきました。ミカドの前では媚び善き者のように振舞いました。
傀儡たちにもいかにアヤメノキミが清楚で美しく素晴らしいか人々に吹聴させたのです。
一方で奢侈な生活をすることも忘れませんでした。
妖狐はアズサノミコをも籠絡しすべてを我が物にしようと狙っておりました。
それが叶わぬのならアズサノミコを孤立させ、おのれの欲望の赴くままにミカドを操り、中つ国を我がものにすればいいだけです。
いずれにせよ、多くの傀儡や蟲を中つ国中に送り、時の過ぎるのを待ち、コウゴウとなり、すべての力を思うままに振りかざすつもりでいたのです。
「我あるは滅びを見んがためぞ」
妖狐はその赤い口から毒を吐き、甘い言葉で囁き、人を惑わしていくのです。
いつの日か再びこの国を乱し滅ぼすことを夢見てその裂けた口で笑うのです。
終わり
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