「栗萬西遊記」

Prev Up Next

第五十四話 主なしとて天神の春の事


  越すに越されぬ大河で、信玄くんという新たな仲間を得た栗萬法師一向は、あれからまた幾つもの山や町を過ぎて、季節は夏から秋へと巡ってゆきました。
今度さしかかったお山は、いつもよりもなだらかで、景色も美しく、今を盛りともみじが真っ赤に染まっておりました。
「あーきのゆうひーのーてーるやーまもーみーじー」
ぶーちゃんは美声を響かせ、だっちゃんは一枝手折ったもみじの梢を指揮棒のように振ります。栗萬法師はポックリポックリお馬を進め、信ちゃんはうっとりと景色に見とれました。
「きれいな所だね。気持ちがいいな!」
「ほんとだねー。だれか一句詠んだら」
「じゃあ、おらが一句詠むだよ」
栗萬法師はひと呼吸おいて、

奥山のもみじ踏み分けなく犬の しとの匂いをかぐぞかなしき

「どういう意味?」
「つまりだな、奥山の、もみじの中で、犬が泣いてるだ、これは恋の遠吠えだ。さかりさついたシッコの匂いさ嗅ぐと、せつなくなるってことだよ」
「ふーん。こじつけがましいなあ」
「それに、栗まん君おかしいな!お坊さんなのに、恋の歌よむの?」
「なに云うだよ。西行法師だって、詠んでいるでねえか」
「ぐふふ!栗まんじゅう君が、西行法師ってガラでふかね」
こんなふうに暢気に喋って笑って、もみじの奥山を行く一行です。

まだ栗萬法師一向は辿り着きませんが、紅葉山の奥の奥には、立派な社殿が建っておりまして、「飛梅荘」という表札がかかっておりました。
不思議なことには、このお社、今は秋の最中(さなか)というのに、赤白と花をつけた、梅林に囲まれているのでした。
「珊茶(さんちゃ)、豊島(としま)はおらんかの」
奥の間から呼ぶ声に、ふたりの童子がかけつけました。
「アイ、天神さま、何かご用にございますか」
「ウム、わしは仙人の集いに出かけてくるでの。お前たちには留守番を頼んだぞ」
「かしこまりました」
「よいかな、わしの留守の間に、栗萬法師の一行が訪ねてくる筈じゃ。くれぐれも粗相のないようおもてなしするのだぞ」
「アイ」
「お茶はあの名器でな、お出しするのだぞ」
「あの名器と申しますと、柿右衛門でございますか、織部でございますか、それとも魯山人・・・」
「なにを云っておるのだ、賓客をお迎えするのだから、あれに決まっておろうが」
「先日天神様がやふーオークションで落札された、あれですな」
「うむ、それじゃ。よいかな、くれぐれも粗相のないようにな・・・。おっと忘れるところじゃったわい。よいかな、栗萬法師の弟子には、くれぐれも気をつけるのだぞ。何を隠そう、イチの弟子のだっちゃんこそは、五百年前に天界荒しをやってのけた駄天大聖なのだからな。足癖の悪い犬だから、用心するのだぞ」
「アイー」
こんなやりとりのあった夕方、栗萬法師一向がやって来たのです。
彼らは、この庵へ辿り着いた時、なにより驚いたのは、季節はずれの狂い咲きをしている梅林です。
「ありゃりゃ、こりゃどうしたことだ。おらたちゃ、いつの間にか、春になるまで歩いていただか」
「そんな、まさか」
「きっと、この土地の気候が狂っているに違いないよ・・・」
みんなが、梅林でがやがや言っておりますと、その声を聞きつけて、二人の童子が現れました。
「皆さま、ようこそおいでくださいました。どうぞ中へお入りください」
見れば、ちご髷に結った上品そうな童です。化け物の棲家ではないようなので、栗萬法師もほっとしました。
「そつじながら・・・、此処はナンと言う処で、どなたさまのお住いであろうか?」
栗萬法師が気取った言い回しで尋ねますと、
「ハイ、此処は飛梅壮と申しまして、天神様のお住いにございます」
と、ひとりの童子が答えれば、
「天神さまは、只今、仙人学会へ『受験合格の秘訣』というお題の講義へお
出かけになっております。我らはその留守を任された者。さあ、栗萬法師さま、どうぞご遠慮なららずに、こちらへ」
もうひとりの童子が優しく差し招くのでした。
「ありゃ、なんでおらの名前さ知ってるだ」
栗萬法師は驚きました。
「天神様には、千里眼の力があるのでございます」
「ですから、もうそろそろ、あなたがたがここへ通りかかるであろうと予知していらしたのです」
ふたりの童子の話を聞くに、天神さまって、ずいぶん神通力のある仙人さまのようです。
「さあ、どうぞ」
童子に勧められるまま、「飛梅壮」の中へ入りましたが、そこは瀟洒な作りの、居心地のよさそうな住まいでした。みんなは、円卓の前に腰かけ、物珍しそうにきょろきょろしています。
「見るでふよ。あの皿。きっといい値段するでふ。あれは、古伊万里でふ」
ぶーちゃんが、信ちゃんの耳にささやきました。
「ぶーちゃん分るの。凄いな」
「ぼくはこう見えて、ナカジマセイノスケの本を熟読してるんでふよ」
「じゃあ、あれはなに?」
だっちゃんが、戸棚に飾ってある大皿を指しました。
「あれはマイセンでふ」
「ありゃ、柿右衛門でねえの?」
栗萬法師が横から口を出しました。
「栗まんくんは、一を知って二を知らないでふね。あれは柿右衛門に似せて作ったマイセンでふよ。裏へひっくり返せば、ほら、剣のマーク描いてあるでふ」
ぶーちゃんは、かけてある大皿を、ひっくりかえして見せました。確かに、マイセン印がついています。
「ぶーちゃん、落としちゃったら、大変だようっ。早く戻しなよ」
信ちゃんは、はらはらと注意しました。ぶーちゃんがお皿を戻すと、ふたりの童子がお茶を持って現れました。



第五十五話 坊様お茶をどうぞの事


「粗茶でございますが・・・」
と言って童子が出してくれたお茶は、どうしてどうして、今まで味わったことのないようなおいしさです。
喉の中に、すうっと入っていって、ほのかな甘み、程よい渋み、そしてさわやかさ。
「こりゃうめえや」
栗萬法師は、思わず感嘆の声をもらしました。
「ほんと、おいしいお茶だね!」
「かんろ、かんろでふ」
「フォションのお茶よりも美味しいなっ!」
だっちゃんたちも、しきりに褒め称えます。みんなは、ごくごく飲んで、しきりにおかわりをしました。
何度目かのおかわりをしようとして、栗萬法師は不思議そうにお茶碗をひっくり返しました。そして、つくづくと眺めまわしてから一言、
「はてな・・・?」
と呟きました。その呟きを聞きとがめたぶーちゃんは、
「どうしたんでふか?栗まん君。その茶碗はマイセンじゃないでふよ?」
「そうでねえんだよ。この茶碗、変なんだよ」
「変って、なにが?」
「どこにも割れ目がねえのに、漏るんだよ」
これを聞いた童子たちは、互いにめくばせをしました。
「どれ、だっちゃんに貸して!」
だっちゃんが受け取ろうとした時です、栗萬法師は前足をすべらせて、お茶碗を落としてしまいました。
「あっ」
声が出るより先に、お茶碗は床に当たって、口が欠けてしまいました。途端に真っ青になったのは、ふたりの童子です。
「ああ、お茶碗が!」
「ごめんだよ。ウッカリ手がすべっちゃっただよ。堪忍してくんな」
栗萬法師は気軽に謝りましたが、童子たちの顔といったら、ただ事ではありません。
「大事なお茶碗に、こんな粗相をしてしまって!」
「天神様になんとお話すればよいのだ!」
「ごめんってばさ。おらがそんな漏る茶碗よりもいいの、益子で買って来てやっから」
「無礼者!」
童子は、今度は真っ赤になって叫びました。
「貴様の割ったその茶碗は、この世にひとつしかない名器なのだぞ。そんじょそこらの器で贖えるものだと思うてか」
「へっ・・・?」
「ちょっと、こんな漏る茶碗に、慰謝料ふっかけようっていうの!」
「漏る茶碗とは、益々もって無礼な!」
「無知な奴らめ、知らずば教えてやるわい。この茶碗こそは、かの有名な、はてなの茶碗じゃ!」



第五十六話 いかなることかはてなの茶碗の事


はてなの茶碗といえば、有名な古典落語です。
ある時、油売りが茶店でひと休みしておりますと、風流人らしいなりをした老人が、しきりに一個の茶碗を眺めまわしております。そして、一言、
「はてな」
と呟いて、その場を去ってゆきました。
その風流人こそは、京でも有名な目利きの茶屋金兵衛こと、茶金という男でした。
油売りは、茶金でさえ、首をひねる茶碗ならば、さだめし価値のあるものに違いないと考え、渋る茶店の主人にねだり、その茶碗を買いました。
そして後日、茶碗を売りに茶金の店へ訪れますが、どうしたのでしょう、単なるガラクタであると呆れられてしまいます。
不審に思った油売りは、いつぞやの出来事を話して、「はてな」のいわれを問いますと、茶金は驚き呆れて、
「いや、あれは、どこに割れ目もないのに、不思議と茶が漏るものだから、はてな、と思うて・・・」
これには油売りもがっかり。というのも、この油売りは、もとは大阪の極道息子で、勘当されてしまった身の上なのです。家に手ぶらで戻るわけにもいかず、この茶碗で大金を作ろうというつもりであったのですね。
仔細を聞いて、不憫に思った茶金は、油売りがその茶碗を買う気になったのは、自分の何の気なしに言った言葉のせいで、いわば自分の名前で買ってくれたようなわけだからと、大金でその茶碗を買い取ってくれました。
さて、おもしろいのは次のくだり。
それからしばらくして、茶金が出入りしている公家のお屋敷を訪れたところ、何かかわった話はないかと問われたので、れいのはてなの茶碗の一件を話しますと、たいそう公家さまが面白がり、

音なくしてしたたり落つる清水焼きはてなの高き茶碗なりけり

という一句を添えられました。その噂がぱっと広がって、とうとう天子さまのお耳にも入りました。
さっそくその茶碗をお召しになった陛下、はてな、成程これは不思議である、
いたく感心遊ばして、「波天奈」と箱書きされ、はてなの茶碗は天下一品の名器となりましたとさ。
童子たちが云うには、これこそ、その「はてなの茶碗」なのだそうです。
「天神さまが毎日パソコンに釘付けになって、ようやく落札なさった茶碗なのだぞ!」
「本来なら、博物館にあってもおかしくない一品を、よくも!」
二人の童子は、口々に罵倒します。栗萬法師はすっかり両耳を下げて、ちっちゃくなってしまいますし、ぶーすけくんはあきれて口も聞けず、信玄くんはオロオロするばかり。誰も弁解のしようがなく黙っているので、益々童子は声を荒げます。
ムカッときたのは、気の短いだっちゃん。
「なにさっ!」
と、我慢も出来ずに大声を出しました。
「はてなだかさてなだか知んないけど、こんなお漏らし茶碗一つに、ぐちゃぐちゃ言ってさ!そんならこうしてやる!」
だっちゃん、そう叫んだかと思いますと、むんずとはてなの茶碗をつかみ、壁へ向かって放り投げました。
「ああ!」
格唇から、悲鳴が漏れたのは言うまでもありません。
無残やな!名器はてなの茶碗は、壁に当たって、こなごなに砕けてしまいました。
「あわわ・・・」
もはや、童子たちは、言葉もありません。
「ど、どうするだ・・・」
あまりのことに、白目になって痺れてしまった栗萬法師ですが、だっちゃんは今更うろたえるなんてことはしません。
「エイッ!」
得意の催眠魔法を童子二人にかけて、ばったり倒れるのを見届けると、みんなに向かって言いました。
「さあ、今の内だ、ずらかろう」
この行いが良いとか悪いとかは別として、誰も逆らう者はありませんでした。



第五十七話 落雷館を焼く事


 天神さまは、ようやく「受験合格の秘訣」の講義を終えました。会場はまだ拍手に包まれております。
「いやいや、当世はもっぱらドラゴン桜がもてはやされておりまするが、やはり天神さまに限るて」
「そうじゃそうじゃ、桜より梅じゃい」
「梅はア咲いたかア、さくウらアは、まだかいイなア」
てんで勝手な賞賛の嵐を後にして、天神さまは峠の我が家へ急ぎます。
「天神さま、何故そうお急ぎなさるのです」
お供の弟子が不思議がりました。
「いやなに、栗萬法師が帰らぬ内に戻りたいと思うてな」
「そんなに、栗萬法師は賓客なのでございますか」
「いやさ、そうではないが、噂によれば、面白い栗萬面だというから、話の種に見物しておきたいのさ」
おやおや天神様、栗萬法師をパンダなんかと一緒にしております。
さて、イソイソと帰ってきた天神さまですが、留守番の童子は迎えに出てきませんでした。
「珊茶、豊島はおらんかの。ええい、なにをしておるのだ」
呼べども答えぬ二人の童子、それもその筈、だっちゃんの魔法の力で白川は夜船で渡ったという有様。
「ムムム・・・」
客間の様子を一見して、何が起こったかが、天神様にはすっかり分かってしまいました。
「これ、いい加減に目を覚まさんか」
天神様が、童子に渇を入れると、二人はようやく目を覚ましました。
「ひゃっ、天神様ッ」
「大変なんでござりますッ」
二人は日本昔話の市原悦子のような声を出しました。
はてなの茶碗が駄天大聖によって破壊されたという報告を耳にしたとき、天神様の顔には、稲妻が走りました。
「ああ!天神様のお怒りじゃ」
それが、どんなに恐ろしいことか、痛いほどよく知っている弟子たちは、がたがたと震えます。
「駄天大聖め、ただではおかぬ・・・。どうれ、野犬捕獲に乗り出すかい。このわしから逃れられるものと思うなよ。ふふふふふ・・・」
不気味な笑い声と共に、天神様は雲を駆り立て飛び出しました。



第五十八話 包み込まれるのはたが袖の事


 栗萬法師一向は、休憩もとらず、ゴハンも食べずに逃げ続けました。悪夢を見ているような心地です。わき目もふらず、山を越え谷を渡るその思いは、清姫から逃れる、安珍にも匹敵することでしょう。あの峠の向こうに、夕日が沈む頃、ようやくみんなは足を止めました。
「どうどう」
栗萬法師は、伽弟楽のたずなをゆるめます。
「ここまで逃げれば、もう大丈夫だよ」
信ちゃんは、ハアハア荒い息遣いで言いました。
「何処かで野宿して、ゴハン食べようよ」
その提案に、一同は頷きましたが、だっちゃんだけは、背中の針毛を逆立てました。
「なにかが来る!」
「え・・・?」
「妖気を感じるよ!」
だっちゃんは、緊張した声で叫びました。その時空に、さあっと一筋の光が差しました。
「いけない!隠れろ!」
だっちゃんの号令に、みんなは恐怖に怯えながら、めいめい藪や木の影に身を寄せました。ちょうど隠れ終わったと同時に、光の筋が降りてきました。天神様です。
「へへへ・・・、匂う、匂う。いやに犬臭く匂いやがる」
常とは違ったぞんざいな言葉で、天神様は辺りを見回しました。
「どうも、この辺りが臭いね。どうら、犬狩でもはじめようかい」
その言葉に、隠れているみんなは、ぶるぶる震えが止まりません。どうか見つからないようにと祈りながら、息を殺し、体を出来る限り縮めました。
「あの子はたあれー、たれでしょねー、なんなん棗の花の下アー」
天神様は、彼らの恐怖を煽るように、低く不気味に歌い出しました。
「背中の赤毛が見えてるよー、かわいいだっちゃんじゃないでしょかア」
その歌声と共に、だっちゃんの「ギャア」という生々しい悲鳴が聞こえました。そして、再び、しーんと静まり返ります。
「あの子はたあれー、たれでしょねー、こんこん小藪の垣の中ア」
また、あの不気味な歌が聞こえます・・・。
「くるりんしっぽが見えてるよー、かわいいぶーちゃんじゃないでしょうかア」
「ヒャアッ」というぶーちゃんの悲鳴が聞こえました。そして・・・、
「あの子はたあれー、たれでしょねー、とんとん峠の道のかげエ」
ああ、今度は誰の番なのでしょう・・・。
「ふたつのお耳が見えてるよー、かわいい信ちゃんじゃないでしょうかア」
「ヒィッ」
ああ、とうとう、信玄くんまで・・・。ついに、おらひとりだ・・・。次は・・・、次はおらの番だ・・・。栗萬法師は、がたがたと歯の根もあいません。心臓はどっくんどっくんと、さっきから踊り狂っています。
「あのこはたあれー、たれでしょねー、お池にうつった影法師イ」
天神様の歌です。栗萬法師は思わず耳をふさぎました。
「まんまる顔の栗まんじゅうー、栗萬法師じゃないでしょかア」
おずおずと、栗萬法師は顔をあげました。すぐ目の前に、天神様が立ちはだかっていて、恐ろしい視線をこちらへ送っておりました。
「みいつけたア」
「アヒャアッ」
辺りに、栗萬法師の戦慄の悲鳴がこだましました。
まったく、一瞬の出来事です。天神様が着物の袖を大きく振ると、あっという間に目の前が真っ暗になり、身動きも出来なくなってしまいました。栗萬法師たちは、天神様の法力で、袖の中に吸い込まれてしまったのです。
「へへへ・・・」
不気味な笑い声をたてながら、天神様は袖を揺らしました。
「驚いたか。袖の下に入るのは、賄賂と恋文ばっかりじゃねえってことさ」
この袖の中は四次元空間となっており、道具こそ出てきませんが、ひとを閉じ込めておくには中々便利な袖です。
だっちゃんたちを難なく捕らえた天神様は、光の雲を呼び出して、飛梅荘へ帰宅しました。


第五十九話 せっかんは銀に輝くキセルの事


「さあ、犬ども、出ろ」
屋敷へ戻った天神様が、袖をゆらりゆらりと振りますと、まるでふりかけのように、パラパラとだっちゃんたちが転がり出ました。
「うわあ!」
「痛いでふ!」
「助けてようっ!」
「ナンマンダブ・・・」
めいめい、てんで勝手な悲鳴をあげながら、ごろごろすってんと床へ転がり落ちた様は、絨毯から飛び出たクレオパトラさながらでありますが、こちらは甚だ色気のない現われかたです。
「犬ども、ようも麻呂の大事な茶碗を割りよったな」
天神様は、きっと睨みつけながら、厳かな口調で言いました。
「硯箱なら、ふみかいたのね、で済むであろうが、茶碗ばかりは許さぬぞ」
(文書いたと踏み欠いたの洒落。)
「あわわ、あわわ、お許しくだせえまし、お許しくだせえまし」
がたがた震えながら、栗萬法師は土下座で額を床へこすりつけました。まるで農民が代官に咎められているような光景です。
「おらが・・・、おらがきっと益子で代わりの器を買ってめえりますから・・・」
「駄目だね。いいか、あの器はな、鑑定団に出陳する手続きをテレビ局にしちまったのさ、今更取り消すわけにはいかない、どうしてくれるんでえ」
と、今度は言葉も荒々しい天神様です。
「ふん、なにさっ!茶碗いっこで大人げないよ!」
だっちゃんは負けじと天神様を睨み返しました。
「たかだか茶碗で、しつこいよ!だっちゃんはしつこい奴はだいッ嫌いさ」
「フーン、貴様が駄天大聖か。聞きしに勝る小生意気な犬め。深川芸者なら、粋がよくって通ろうが、お犬の世界じゃお行儀がよいとは言えないねエ」
天神様は、顎を撫でておりましたが、弟子たちを振り返ると、
「おい、こいつらを柱に縛りつけろ」
「はっ」
すぐさま屈強の弟子たちが、命じられた通りに栗萬法師一向を柱へ縛りつけてしまいました。
「さあ、せっかんのお時間だよ」
と、天神様が手にしたのを見れば、それは銀色に輝く煙管ではありませんか。
栗萬法師は、サアッと毛皮の色艶も失せ、ガチガチと震えだしました。
「此の盗っ人!」
「ろくでなしッ!」
遠い記憶の彼方から、忘れかけていた上州屋の記憶が蘇ってきました。ひゅっ、ばし、ひゅっ、ばし。あの鈍い音。煙管の銀のひらめき・・・。
「ひゃああー!」
恐怖の記憶に怯えた栗萬法師は、我を忘れて叫びました。
「女将さん、堪忍してくだせえまし、お許しくだせえまし・・。痛い、痛いようっ、おっかさん!」
叫ぶだけ叫んだ栗萬法師は、がっくりと首を垂れ、泡を吹き出して気を失ってしまいました。
「あれあれ、せっかんする前に倒れちまいやがった」
天神様は呆れているし、傍で見ているだっちゃんたちは、生きた心地もありませんでした。
「分った、天神様とやら、だっちゃんが悪かったよ!だからこうしよう、だっちゃんが、きっと器を元に戻すよ!」
「ふん、器を元に戻すなんて事が出来るかね」
「出来る!出来るよ、だっちゃんこう見えて顔が広いんだから。きっと直してくれる人を見つけて来るよ!」
だっちゃんは必死になって言いました。天神様はギロリと眼を光らせて、
「ふーん。直せるというなら、それにこしたこたあねえ。だが、いいか、くれぐれも逃げられると思うなよ。おめえが逃げやがったら、仲間たちの命はねえからな・・・。ふふふ」
「だっちゃん、大丈夫でふか?」
ぶーちゃんが、心配そうに声をかけました。
「僕らを見捨てちゃ嫌だよっ」
信ちゃんも不安そうです。
「任せてってば!」
 ひとり縄を解いてもらっただっちゃんは、栗きんと雲を呼び出しました。
「いいか、猶予は三日だ。三日の内に戻らねえときには、分っているだろうなア」
「分ってるって。その代わり、だっちゃんが留守の間に、みんなにひどい事したら承知しないよ!」
言うが早いが、だっちゃんは雲に飛び乗りお空の彼方。さあ、一体何処へ行くというのでしょう。
(続く)