「栗萬西遊記」

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第一話 栗萬法師西遊発端の事


 今はむかし、ある処に栗萬国という豊かなお国がありました。
その国の帝は、たいそう栗まんじゅうが大好きで、三度の飯にも三時のおやつの時にも、欠かさず栗まんじゅうを召し上がるというご執心振り。
帝の為に、栗まんじゅうを拵える菓子職人は九千人も抱えられ、
城の外は広大な栗林に囲まれておりました。
ところがある日を境に、栗林の木という木が、秋を迎えても実をつけず、
冬となる頃には、全ての栗の木が無残にも枯れ果ててしまいました。
驚き慌てた帝が、占い師に伺いをたてますと、これは帝の前世での罪の報いと申します。
帝は帝にお生まれになる前は、外国(とっくに)の高僧でありました。
ところがこの高僧は、たいそう栗まんじゅうが好きで、日に九百の栗まんじゅうを食したと申します。
高僧には常々召し使っております童子がありましたが、ある時この童子が栗まんじゅうをひとっつだけシッケイしてしまったのを、高僧事の外腹を立て、日ごろの潔斎の心も忘れてどやしつけました。
折檻された童子は、哀れやその日の内に息をひきとったということです。
この前生の罪が、今帝を苦しめているのでありました。



さて、帝の家臣に、徳の高い男がありました。
この男がある時帝にむかって申し上げるには、
「サテモサテモ、昨夜ハ実に奇怪なる夢を見申した」
其の夢とはと問うに、彼は答えて曰く、
「空に栗色の光満ち溢れ、何処からとも無く、ソレハ美しい声にて、
西に木あり、西に木ありと、ただ二声」

この不思議な夢を、さっそく占い師に判断させますと、
「これは、栗萬大菩薩様のありがたいご宣告に違いありませぬ。
いにしえより、西方浄土には、極楽という処有り、そこには御仏が住まうと申します。 また、極楽には、金色の栗の木が生えているとも伝え聞きます」

ありがたや、栗萬大菩薩、帝は金色の栗の木を、是非とも西方へ取りに行くよう仰せになりました。しかし、誰を使者にすべきでありましょうか。
その時御前へ進み出たのは、一人の家臣。
「殿・・・イヤサ帝、ここに不思議な事がございます。
都と九里を隔てたくりくり村は田舎寺と申す処に、栗萬法師という僧がございます。
この法師、奇怪なるは生まれし時より、其の面立ちが栗まんじゅうに瓜二つだという話でございます。この者を、西方への使者として遣わしてはいかがでありましょう」

かくなる次第にて、田舎寺の栗萬法師、西に旅立つことに相成りました。



第二話 栗萬法師あらましの事


 さて、帝に西方遠征を命じられた栗萬法師、彼の俗名は蓮太郎と言い、もとは「上州屋」という菓子屋の丁稚でありました。
蓮太郎少年は、出羽の国の生まれ、兄と姉がおりました。
たいそう貧しい家でありましたので、ほんの小さい頃に里子へ出され、「上州屋」に奉公する身となったのです。
「上州屋」での暮らしは、それはつらいものでした。
朝は早よから、晩は遅くまで、丁稚の蓮どんは働かされました。番頭さんは怒りン坊ですし、仲間の丁稚はいじわるでした。ことに恐ろしいのは女将のおはるです。
年中、眉間に皺を寄せ、こめかみに梅干を張っております。
苛々とした調子で帳場にやって来て、蓮どんの顔さえ見ればお小言です。
「お前ハ、どうしてソウとろいのだエ。エ、何べん言わせれば分るのだエ、チョッ、しょうのない子だよ、・・・・・・とんだゴクツブシだねエ」
機嫌の悪い時には、手にしたキセルで蓮どんをどやしつけるのです。
蓮どんは、泣きたいのをこらえて、じっと歯をくいじばり、ふるさとのおっかさんを思うのでした。



ある時、お得意様へ届けるはずの栗まんが、どういう手筈の行き違いからか、あちらへ届かぬという事がおこりました。
すぐに疑われたのは、かはいさうな丁稚の蓮どん。
「おら、しんねエ、おら、しんねエ」
蓮どんは必死にものを言おうとしたのですが、女将さんの罵声とキセルの嵐に、口を開くすきもありません。ただ、ぼろぼろと涙をこぼすばかり。
女将のおはるは、きりきりと青筋をたて、サットキセルを振り上げた姿は、まるで絵草紙で見た、夜叉のおでんのよう。蓮どんの胸倉を掴み、盗人だ盗人だ、巡査を呼べと騒ぎます。蓮どんは、このままではどうされてしまうか分らぬと、恐ろしくなって、女将を突き飛ばし表へ逃げました。
後も振り返らずに走って、走って、何処をどう通ったのやら、気がついた時には、見知らぬ土地へ来ていたのです。
それからしばらく、蓮どんは飲まず食わずで、ふらふらとさすらいました。
その時出会ったのが、田舎寺の住職でした。
住職は、蓮どんをたいそう不憫がり、寺へ置いてくれました。そして、蓮どんは住職の教えを受け、栗萬大菩薩の奥儀を極め、いつしか栗萬法師と呼ばれるようになりました。



第三話 栗萬法師麗人に馬を賜る事


 栗萬法師は、帝の使者がやって来た時、丁度昼寝の最中でした。
お小僧さんに揺り起こされて、よだれを拭き拭き、使者の前へ現れました。
使者は、なんとマア、話に聞いた通りの栗まん面だと感心しました。
さて、使者が帝の命を伝えますと、栗萬法師はどんぐり眼をうろうろさせて、
「アア、めんどくせえなア、おら、西方なんて、行きたくねエよ」
と心に呟きましたが、
「サテモサテモ、ありがたき思し召しカナ」と答えました。
「行ってくださりますか、西方へ」と、使者が問うのに、
「どうせ断れねんだんべえ」と思いましたが、
「そのやうな大役に、拙僧をお選びくださり、身に余る光栄」と申しました。
これで、栗萬法師の出立が決まりました。

「栗萬法師、西方浄土は十万八千里と伝え聞きます。いったい、いつ頃お戻りになるのでしょうか?」と、人々が聞いた時、
「そんなんしんねエよ」と思いましたが、
「サテ、桃栗三年、栗の上にも三年と申せば・・・みとせの後にハ必ず」
と言い残して去ってゆきました。

栗萬法師は、のろのろと、三日二夜を食もなく歩き続けました。四日目に歩くのが億劫になりました。五日目には帰りたくなりました。六日目に引き返すことにしました。
くるりと西から東へ進路を変えて、五歩六歩進んだ時、むこうに家のあるのを見つけました。森を背にし、前には清らかな小川が流れている、立派な邸宅であります。
あすこで食い物を貰って、一休みさせて貰うんべと、栗萬法師は屋敷へ歩み寄ります。すると、庭に一人の女が立っております。濡羽色の髪もツヤツヤと、肌は雪を欺くばかり、唇は朱を点じたように美しい。形の良い耳には翡翠の飾り、髪には珊瑚のカンザシ。
すももの実を籠に摘んでいる姿は、楊貴妃か小野小町かクレオパトラか。
栗萬法師の姿を見つけ、驚いたように袖屏風。鶯のようなヤサシイ声音で、
「あなたはドナタ、旅のお方かと存じますが、何処へ向かわれるお人ですカ」と問う。
栗萬法師はかしこまり、
「旅の暮れの僧にて候。栗萬国の難儀を救わんが為、目指すは西方浄土也」
「サテハご高僧ハかの栗萬法師にて候か」
「さん候。・・・ハテナ、そもじハ如何なるお方に候や」
「名乗るほどの者にはあらじ。かねがねご高名を伺い、せめては、その功徳に預からんと思う者なり」
女はいとなつかしげに栗萬法師へ歩み寄り、
「聞けば単身、西方へ向かわれるとやら、おみ足が痛々しいこと。
西方浄土は十万八千里、山も有れば谷もあり、野もあり、川あり、森もあり・・・、
とても徒歩では行かれますまい。
さて、ここにお幸せなことには、わたくしには一頭の愛馬がございます。
この馬は、竜王の落し胤とも言われて、速きことハ麒麟の如し。
名も伽弟楽(きゃでらく)と申します。どうぞこの馬にお乗りになってくださいマセ」
と、麗人は一頭の馬を差し出します。見れば見るほど素晴らしい馬ではありませんか。
鹿毛の色も美しく、堂々とした姿。
これハありがたい、と栗萬法師、麗人に礼を述べようとした時には、不思議や女も屋敷も跡形なく、そこには西方への街道が伸びているばかり。
や、さてハ是ハ、栗萬大菩薩様が、仮にお姿を現し給もうたのかと悟り、
栗萬法師、ハハア、ハハアとひれ伏しました。





第四話 栗萬法師災難の事


 栗萬大菩薩より賜りし伽弟楽、其の速きことは疾風の如し。
サッソウとまたがった栗萬法師は、アット言う間に、いがいが県の峠に差し掛かりました。
「でへへ、マッサカ速ええ馬だナ、コリャ。これなら、明日ニモ極楽さ行けっかな」
栗萬法師は馬上でニヤツキましたが、好事魔が多し。伽弟楽の足元に、バナナーの皮が落ちていたのを誰が知りませう。
伽弟楽、思わず転びそうになって、ヒィーンと前へつんのめる、でれついていた栗萬法師は振り落とされて、谷の奈落へマッサカサマ。
「あーれー、ホントの極楽さ行っちまうだよ」
本来なら、栗萬法師はこれにてお陀仏。栗萬西遊記一巻のオシマイといったところでありますが、なんと悪運の強いことでしょう、栗萬法師ハ崖のでっぱりへ落っこちたので、左程の怪我さえせずに済んだのです。
「ヤレヤレ、命あっての物種」
栗萬法師、アイタタタと腰をさすりさすり立ち上がりました。見上げれば、空ハ遠い。伽弟楽が悲しそうに、ヒヒィン、ヒヒィンと泣く声がいたします。
「伽弟楽やーい、おらは、こんな処さ落っこちてしまっただ。上も下も断崖絶壁だ、おらあ、どうしたらいかんべえ・・・」
ぽかんと遠くへ見える青空に、栗萬法師は心細くなりました。
アア、つぶら瞳の君ユエに、憂いハ青シ、空ヨリも・・・。
栗萬法師はなすすべもなく、いつしか昔の丁稚の蓮どんの心持ちになって、シックシック、キュンキュンと泣きはじめました。
すると・・・。
「エエイ、ウルサイナー。誰?其処へいるのは?」
と、何処からともなくあやしの声が・・・。
栗萬法師、声のほうへ振り返りますと、驚いたことには、崖の絶壁に幾つもの岩が重なりあって、天然の石牢を作り出しているではありませんか。声は、その石牢から聞こえてくるのです。
恐々と側へ寄ってみると、かわいらしい赤毛の顔が覗いています。
「さっきからひとりで騒いでいるのはアンタ?うるさいよ、だっちゃん、眠れないよー」

その子は、石牢の中へ閉じ込められているものと見えます。ようやっと、せまい岩の間から、顔を出しているのです。
けれども、おかしいのは、その子は怯える様子も慌てるふうでもありません。蓮どんの栗萬法師であったら、こんな所へ閉じ込められでもした日には、涙で大河が出来ることでしょうね。
「アノ・・・、そんなトコでなにをしているのカネ・・・?」
栗萬法師が尋ねますと、赤毛のその子は、
「見りゃ分るでしょ、岩に押し込められて動けないんだよ」
「どうして、岩の間になんか、入ってしまったのカネ?」

栗萬法師の問いに、その子はちらっと軽蔑の視線を投げかけました。
それは、あまりにも馬鹿馬鹿しい質問であったとみえます。



「アンタ、だっちゃんのこと知らないの。いがいが峠のだっちゃんを、知らないの」
「しんねえなア」
「だっちゃんを知らないなんて!話になんないよ。もー・・・。
しょうがないから、教えてあげるよ、だっちゃんはね・・・」

と、だっちゃんの物語がはじまります。



第五話 だっちゃん来歴の事

 昔むかしのソノムカシ。天と地が分かれて間もない頃。この世に生き物も、草木さえも生まれる前。世界の中心といわれる大海のど真ん中に、大きないが栗があったとサ、あったとサ。
大きないが栗は沈みもしなけりゃ、流れもしない。逆巻く海のただ中に、根がはえたかのように座っていたソウナ。
さて、万物の創造もあらかた片がついて、山だの陸だのが出来て、草や木なんぞも生えてきた。鳥だの虫だの魚だの、両生類に哺乳類ハ虫類なんてのも現れたとサ。
その頃、あの大きないが栗に異変が起きたんだとサ。突然いががむけて、栗がぱーんとはじけたト。すると中から、それハめんこい赤毛の秋駄犬が生まれたとサ。



「それがだっちゃんなんだよ」

割れたいが栗に乗って、だっちゃんは近くのお山へ辿りついたんだと。
生まれた時からタイソウわんぱく者であったので、たちまち山に住み着いていた犬たちを、みーんなやっつけて、手下にしてしまったト。だっちゃんは山犬の親分になって、大威張りしたんだト。

「だっちゃんが一番偉いんだよ。逆らったやつは、ヒドイ目にあわせるよ」



自分の山だけでは物足りないだっちゃんは、あちらの峠、こちらの谷へ喧嘩を売って歩き、あっという間にその辺りの山岳一帯を自分の持ち物にしてしまったト。

「これからは、だっちゃんのこと、<駄天大聖>と呼んでネ」

さてさてだっちゃんは、広大な帝国を築き上げて大満足。ところがある時、山の渓谷から、こんな唄が聞こえてきたんだとサ。

「どんぐりコロコロドンブリコ、田んぼにハマッテサア大変」

田んぼって、なんだろう。山に育っただっちゃんは、まだ見たこともなかった。
唄はまだ続く。

「イナゴが出てきてコンニチワ。だっちゃん一緒に遊びませう」

イナゴって、どんな奴?だっちゃん、そんな奴知らないよ・・・。

この不思議な唄に魅せられただっちゃんは、お山の大将である自分に気がついたんだとサ。



第六話 だっちゃん悟りを開く事


 今まで、天下で一等エライのはだっちゃんなんだと思っていたけれど、あの奇妙な唄を聞いてから、だっちゃんは山しか知らない自分が、井の中の蛙と悟ったんだとサ。
すると、急にこの世の諸行無常が忍ばれた。
だっちゃんは手下の山犬たちに、よくよく言い含めて、単身修行の旅へ出ることに決めたんだとサ。

「だっちゃん、修行の師匠を求めて、西から東へ、北から南と歩いたよ。世の中って、大きいネ」

ようやく、仙人が住むという、桃源郷まで辿り着いたんだトサ。
そこで、親分、大親分という仙人に出逢ったト。
だっちゃん一生懸命修行して、色々な技を身につけたんだト。
空飛ぶ秘術に、変化の術、甲賀流忍術、柳生新影流剣法、小笠原流作法、市川団十郎流見得の切、えとせとら、えとせとら。



すっかり奥儀を極めてしまっただっちゃん、急にふるさとが恋しくなったとサ。

「誰か故郷を思わざる・・・ダネ」

こうと決めたら、思い立ったが吉日。だっちゃん、秘術の空中飛行、「栗きんと雲」にエイヤと飛び乗り、何百里もひとッ飛び。一分もかからぬ内に、ふるさとのお山へ里帰りしたトサ。
お山じゃ皆が大歓迎。バン駄イだっちゃん、駄天大聖、バンバン駄イ。




第七話 だっちゃん天界へ行く事


 お山に戻っただっちゃん、家臣たちの歓迎の嵐に、飲めや歌えや大騒ぎ。ズラリと並んだご馳走は、鰻の蒲焼、寿司、おこし、牛、てんぷら、正宗、弁当、マッチにタバコ・・・。

「モウ、駅の売り子サンじゃないんだから!」

トニモカクニモ山海の珍味。だっちゃんご満悦。
ところが、こんな声がどこからとこなく聞こえてきたとサ。

「こんなに沢山ご馳走が並んでいても、天下の珍味、フォアグラはナイ。フォアグラが食べられるのハ、天宮に住まう、天神様だけ、天神様だけ・・・」

声はすれども、姿は見えない。

「だあれ?ブロニカ博士みたいな真似しないでよ」

だっちゃん、その不思議な声を聞いた途端、ムラムラとフォアグラが食べたくなったんだトサ。

「よーし、だっちゃん、天界へ行って、フォアグラを食べてやるんだ!」

家臣の山犬たちにくれぐれも後を頼み、だっちゃん、栗きんと雲に乗って、さあっと天界目指して飛び出していったトサ。




第八話 だっちゃん天界で一暴れする事


 いがいが峠の石牢で出逢った、不思議なだっちゃんのお話は、まだまだ続きます。
栗萬法師はすっかり夢中になって、それからそれからと先を促します。
さて、天界へ向かっただっちゃんは・・・・・・、



「だっちゃんの栗きんと雲は、一万八千里もひとッ飛びだよ。あっという間に天界へ辿りついたんだ。そこは門も城壁も、みーんな金色に光ってるんだ。だっちゃん、まぶしくなっちゃったよ。門番がね、だっちゃんを通せんぼするから、エイヤッて、駄パンチをお見舞いしてやったんだ。そしたらソイツ、すぐに伸びちゃった。
ずんずん中へ進んで行くとね、庭にはきらきらした石が敷き詰めてあってね、光に反射してとっても眩しいんだ。その光る石をよーく見たら、みんなビー玉だったよ。けっこう天界って所もケチなんだね。
木や花は、今まで嗅いだこともないくらいイイニオイがするんだ。
だっちゃんは、さっそくあっちこっちに目印のシッコをしたんだ。
お池の水はとってもキレイで、その味ったら甘露ってやつだよ。
だっちゃんは、すっかり天界って所が気に入っちゃったんだ」

「でも・・・、勝手に入っちまって、だれにもどやされなかったんカイ?」

尤もな栗萬法師の質問です。だっちゃんは、カンラカラと笑って、

「だっちゃんは強いもん。文句を言う奴は、みーんな駄パンチだよ!
だっちゃんがもっと奥へ進んで行くと、大きな宮殿が見えてきたんだ。とっても立派な宮殿だよ。そうだな、シャンボール城ぐらい立派だったかな?ベルサイユ程は大きくなかったような気がするよ。
宮殿の前には、鎧を着た兵隊さんが並んでいたんだ。仁王様みたいな目で、だっちゃんを睨んでた。でも、だっちゃんニラミなら誰にも負けないよ!団十郎の見得でお返ししてやったんだ。
それを見た兵隊サンは、ヨッ、成田屋ー、お見事ーッて、拍手喝采だ。だっちゃんは、ずんずん先へ進んで行ったよ。
廊下は随分長かったよ。朱塗りの柱がズラリと並んでる。だっちゃん、どれに目印のシッコしようか迷っちゃった。
そしていよいよ、玉帝さまの玉座の間へ辿りついたんだ」

天界の支配者である玉帝は、綺羅星の神仙に取り巻かれ、奥の玉座に鎮座していました。その姿は、まばゆいばかりの光に包まれて、あたかも太陽の如く直視することはできません。たいていの者でしたら、畏怖のあまり、その場に跪いてしまうことでしょう。
しかし、玉帝の前へ出ても、臆するだっちゃんではありません。
堂々と胸を反らして、玉帝と対面したのです。



「無礼者め!ここを何処と心得る。お前の目の前にいらっしゃるお方を、どなたと心得るのか」
神仙のひとりが怒鳴りました。
「マアよい。・・・その方、名はなんと申す。何処からやって来たのじゃ」
玉帝の問いに、だっちゃん悪びれもせず、
「名無しの山からやって来ただっちゃんだよ。フォアグラってやつを、食べに来たんだ。おとなしく出すならヨシ、出さなきゃ駄パンチをお見舞いだよ!」
だっちゃん不逞の発言に、さすがの玉帝もくわっと色をなし、
「ムム・・・、無礼者めがッ。ひっ捕らえイ」
と、号を発したのでたまりません。並み居る神仙はワッとばかりにだっちゃんを取り囲み、中でも屈強の者がずいと腕を突き出します。
しかし、だっちゃんは動じるふうもなく、涼しい顔で駄パンチ一発。忽ち目の前にいた奴がばったり引っくり返ってしまいます。
「ウヌッ、小癪ナ」
しょうき様のようななりをしているのは武官でしょう、眦も裂けよとばかりにつり上げて、だっちゃんに躍りかかりますが、これにはエイヤと頭突きをお見舞い。
後ろからかかってきた奴には回転足蹴り。
数を頼んで一斉に襲い掛かってきた連中には、
ソレ右アッパー、ソレ左フック、お次はデコピン、
フックだ、ボディだ、チンだ、
エエイ面倒だい、ここらでノックアウトだ!
阿修羅と見まごうばかりのだっちゃんの働きに、平和を売り物にしている天界も、上を下への大騒ぎ。
人から神よ仙人よと仰がれる綺羅星群も、だっちゃんにかかりましては、赤子も同然。誰ひとりとして、かなう者はありません。
驚いたのは玉帝です。
このままでは、天界が滅茶苦茶にされてしまいます。
「ヤア待て待て、余が短慮であッたゾ、許せ許せ」
と、悲鳴にも似た叫びをあげて、だっちゃんをなだめます。
「だっちゃん、正当防衛をしたんだよ、こいつらが先にちょっかいを出してきたんだもの」
「ヤア、分った分った。・・・その方、そんなにフォアグラが食べたいか。よしよし、好きなだけ食うが良いぞ。そう暴れてはいかん」
だっちゃん得たりとばかりにニヤリ。
玉帝がパンパン手を打てば、童子女官が進み出て、円卓に椅子をイソイソ並べ出し、
いつの間にやら調理したのか、奥から次々料理が運ばれて参ります。
「そう来なくっちゃ」
ナプキンを巻いて、ナイフとフォークを手にしただっちゃんは、ペロリと舌なめずり。

「殿・・・イヤサ玉帝、宜しいのでございますか」
家臣の神仙たちが色めくなか、玉帝意味ありげに笑って、
「マアよい。」
オヤオヤ、だっちゃん暢気に舌鼓を打っている場合でしょうか?
なにやら嫌な予感がいたします・・・。



第九話 だっちゃん危機一髪の事


 「フォアグラって、おししいー!」
だっちゃんは天界の珍味にすっかり夢中です。
フォアグラだけではありません。ここでは下界で目にすることの出来ない美食が揃っているのです。
喉が渇いて、水を所望すれば、味わったことのない甘露水。
デザートの水菓子もまた格別なお味。
ただ、煮豆の器には、一向箸が伸びないのですが・・・。それというのも、だっちゃんお豆は親の仇のように大嫌いなのです。
さて、いつしか夜も更け、ご馳走も食べ尽くしてしまいました。
腹の皮がつっぱると、瞼が重くなるのは、だっちゃんも一緒です。
円卓の前に腰掛けたまま、ウトウト、コックリコックリ・・・。
実は玉帝、この隙を狙っていたのでした。配下の者へ合図を送りますと、昼間さんざん惨敗の憂き目にあった綺羅星群、ソレッと眠れるだっちゃんを取り囲み、ぐるぐると縄で縛ってしまいました。
「さあ、煮るなり焼くなり思いのままだぞ」
恨みシンズイの連中が、やいのやいの言うのを、知ってか知らずか、だっちゃんは白河夜船。
「サア、どうしてくれようか」
「昼間の恨みに、簀巻きにして、天の川へ投げ込んでしまえ」
「イヤイヤ、地獄の釜へ放り込んでしまえ」
色々な意見の飛び交う中、ヤレ待て暫シと飛び出した仙人あり。




なにを隠しましょう、この仙人、だっちゃんへ仙術を授けた桃源郷の親分でありました。
玉帝の御前を憚って、だっちゃんが己の弟子だとは、口が裂けても申せませんが、可愛い愛弟をみすみす見殺しにも出来ません。
「陛下、暫しお待ちを。わたくしに良い考えがございます。この秋駄犬、ドウモ只者ではございません。先ほどもご覧になりましたように、並み居る神仙ただのひとりも、力比べでかなう者は無いという怪力。このような神通力をもった犬を、罰するよりはむしろ、官位を与えてやって、天界の為に役立ててはいかがでしょうか・・・」
成程、尤もよナ、と玉帝も頷き、どうやらだっちゃん危うい命を取り留めた様子です。



第十話 だっちゃん官位を賜る事


 親分の助命のおかげで、危ういところを救われただっちゃんは、これ以上天界に仇をなさないという約束で、めでたく天上の官位を授かりました。



「百栗園監督総司令官」という、ナニヤラ厳つい肩書きですが、何と云うこともありません、平たく申せば栗林の管理官です。
此の百栗園は、玉帝の母君である、王母王々(わんわん)の持ち物で、百年に一度だけ不老不死の実をつけるという栗の木なのです。
総司令官に任命されただっちゃんは、物珍しさに、毎日栗園に通っては、栗の木にシッコをかけました。これは、早く実が成れというおまじないです。




「早く実が成れ、栗の木や。
実をつけなけりゃ、噛み付くぞ、
鶴は万年、亀千年、
栗の上にも三年だ、
桃栗三年、柿八年、
柚子の大馬鹿十八年っと・・・」

でたらめの唄が園内に響き渡ります。しかし、おかしいもので、だっちゃんのおまじないが効いたのでしょうか、例年よりも十年早く、栗の木が実をつけました。
喜んだ王母王々、さっそくパーティーを開くことに決めました。
これは百栗大会という宴で、ナニモシャックリを競い合う会ではございません、百年毎に不老不死の栗の実で栗まんじゅうを拵えて、皆で祝い合う宴会です。
此の宴会には、天界中の名だたる神仙がお呼ばれされるのです。
だっちゃんは、百栗大会が楽しみで仕方ありません。
ところが・・・、どうしたことでしょう、待てど暮らせど、招待状が来ないではありませんか。
だっちゃんを無視?そんなんヒドイよ。
怒っただっちゃん、百栗園を飛び出して、パーティー会場へ韋駄天走り。



第十一話 だっちゃん聖なる栗まんじゅうを盗み食いする事


確かに今日がパーティーの当日なのです。会場は満艦飾に彩られ、提灯がそこかしこにぶら下がっております。
まだ時間が早いと見えて招待客は来ていませんが、童子や女官たちは行ったり来たりと、宴会の支度に大忙し。
だっちゃん、エイと呪文をかけると、不思議や童子も女官も、骨を抜かれたように、くたくたとその場へ横たわってしまいました。睡眠術をかけたのです。
調理場を覗いてみると、おいしそうな栗まんじゅうがてんこ盛り。
ゴクリと唾を飲みこむだっちゃん、幸い辺りに人もなし。
「だっちゃんを仲間はずれにするのがいけないんだ。あの栗は、だっちゃんが育ててやったんだもの。これはだっちゃんが食べる権利あるよね」
そんな言い訳を呟きながら、栗まんじゅうをひとつ、ふたつ、みっつ・・・、どうしたことかやめられません。とうとうあるだけの栗まんじゅうを平らげてしまいました。



それから広間へ戻りますと、既に並べられた料理の数々が、大皿の上でホヤホヤ湯気をたてています。
「毒を食らわば、皿までってね」
ものの数分もせぬ内に、天界の珍味美食はだっちゃんのお腹へ収まってしまいました。


さて、さすがのだっちゃんも、食べる前には大きかった気が、みるみる小さくなってしまって、怒られはすまいか心配になってきました。
「逃げるが勝ち」と、栗きんと雲を呼び出して、だっちゃんハ風と共に去りぬ。
それから半時ばかりの後、パーティー会場へ現れた招待客は、どうしたことか召使達は倒れ、食べ散らかされたお皿の、見るもおぞましい落花狼藉の有様に、大騒ぎとなりました。 さっそく、犯人探しがはじまりましたが、すぐにホシがあがりました。
と言うのも、皿という皿に残されたヌメヌメ・・・。天界広しといえども、皿を丹念に嘗め回す者は、だっちゃんの他に誰がおりましょう・・・。
事の次第は、すぐさま玉帝と王母へ訴えられ、慈悲深いと謳われたロイヤルファミリィーも、顔面に稲光を走らせたと申します。



第十二話 だっちゃん天軍と戦う事


聖なる栗まんじゅうを盗み食いした罪で、天界中にだっちゃんの指名手配が張り出され、厳戒態勢が発令されました。「エエイ、憎き犬メ、ただではおかじ」
いつぞやの遺恨のある神仙たちは、血眼になって探し回ります。
しかし、広い天界の隅々まで探しましたが、だっちゃんのだの字も見えません。
これは下界に逃亡したのであろうと、玉帝の命で軍隊が編成され、だっちゃんの本拠地「名無しの山」へと出陣しました。 さあ、危うしのだっちゃん。目前に迫りつつある危機を、知ってか知らずか、だっちゃんは「名無しの山」の住み慣れた犬屋敷に、惰眠を貪っております。 腹が満ちれば眠くなるものですものね。「駄天大聖さま、てえへんでござりまするだ、錦の雲に乗った天の軍勢が攻めてめえりやした」

部下の山犬の知らせに、だっちゃんの夢は破れ、耳を澄ませば鬨の声が聞こえてきます。「とうとう来たね、だっちゃんがまとめてやっつけてやるんだ」
寝床から勇ましく跳ね起きただっちゃんは、元気百倍。両耳はピンと天空を指し、しっぽはぐるりと力強く巻き上がり、フサフサとした毛並みは、サアっと緊張します。
秋駄犬の戦闘態勢であります。
「だっちゃんの山を騒がすのは誰?」
栗きんと雲で空中に駆け上がっただっちゃんが、声を張り上げますと、綺羅星の軍勢の中から、ひときわ美しい甲冑に身を包んだ武将が進み出ました。
この武将は、天軍の総司令官に任命された、納豆太子であります。
「よく聞け、ドロボウ犬め、吾コソハ、泣く子も黙る納豆太子ゾ。貴様の此の度の罪状は、許しがたし。
神妙に致さねば、痛い目を見るゾヨ」
豆嫌いのだっちゃんは、その名前を聞いて、思わずぎょっといたしましたが、こんな事で引けをとる気性ではありません。
「なにさ、納豆だかなんだか知らないけど、だっちゃんしつこくねばつく奴は嫌いだよ」
負けじと啖呵をきって、さっと駄パンチを繰り出します。納豆太子はハッシと白刃取りで受け止めます。
「ウヌ」
駄パンチの一撃が封じられたのは初めてです。
今度は駄キック、駄体当たり、駄アッパー、様々の秘術を繰り出しましたが、納豆太子はそれらを巧みにかわしてしまいます。
「エエイ、今度はこれでも食らえ」
だっちゃん、エイと自らの赤毛を一毟り。それをフーと息で吹けば、不思議や不思議、忽ちにして、手のひらに乗る大きさの、小型だっちゃんがわらわらと現れたではありませんか。
これには、納豆太子も吃驚。百近い小型だっちゃんが、ワット襲い掛かり、毛を引っ張る、耳に噛り付く、鎧の下へ潜り込む、モウ堪ったもんではありません、手で払えど払えど、小型だっちゃんの襲撃は止みません。
納豆太子、痛イ痛イと泣きっ面。
「ヤア、勘弁して呉れイ」
悲鳴を上げて、逃げ出してしまいました。
「えへん、どんなもんだい。だっちゃんは、強いんだから」
だっちゃんは得意げに、勝ち犬の遠吠えをあげました。

総大将の納豆太子がやられてしまうと、後は烏合の衆も同然で、だっちゃんの敵ではありません。早くも戦意を無くして逃げ腰の者、破れかぶれに向かってくる者、みんな駄パンチ一発で倒されてしまいました。 天軍は大敗北で退却です。
敵の退却を見届けただっちゃんは、疲れたように大あくび。犬屋敷の寝床へ帰って、ごろりとへそ天になりました。



第十三話 駄い豆(だいず)真君と豆族(とうぞく)たちの事


「あゝ、とんだ目にあッたぞ」
と、声をあげたのは、小型だっちゃんに痛めつられ逃げ出してしまった、納豆太子です。
小型のだっちゃんは、時間が経つと、煙のように消えてしまいましたが、齧られたり、引き毟られたりしたところは、じんじんと痛みます。納豆太子は、常日頃から、ねばり強さを売り物にしているのですが、今日はどうしたことか、アッサリと引き下がってしまいました。
だっちゃんが、あまりに強かったから・・・?
それもありますが、もう一つの理由があったのです。納豆太子は出陣の前、兄の、えんどう豆行者にこう耳打ちされたのでした。「ヨイカ、アノ犬は只者でハ無いゾ。もし、お前でも敵わぬようならば、駄い豆真君に助太刀を頼むが良いゾ」駄い豆真君といえば、天界きっての英雄であります。
玉帝の甥御にあたり、母は小豆姫、父は人間の武将というミックス神様。
天界広しといえども、彼に敵う者はだれひとりありません。
彼の前に醤油少将はこうべを下げ、彼の前に、味噌行者は跪き、彼の前に、槍持ちの豆腐奴(やっこ)は額づきます。
それほどの力を持っていながら、駄い豆真君は官位を嫌って天界を退き、今は下界で、侠客の豆族たちを抱えて、豪族さながらに暮らしていると聞きます。納豆太子はさっそく、駄い豆真君のもとへ雲に乗って駆けつけ、案内を乞いました。
かよう、しかじかと、これまでのいきさつを話して、助力を願いますと、駄い豆太子は快く引き受けてくれました。
甲冑に身を包むと、部下の豆族を従えて、だっちゃんの名無し山へと進軍です。



第十四話 だっちゃん新兵器の事


駄い豆真君と豆族が、勝って来るぞと勇ましく出征したその頃、だっちゃんはスヤスヤと眠りの底。時々前足を動かしたり、くんくん鼻を鳴らしたりするのは、きっと夢を見ているのでしょう。
そうです、だっちゃんはこんな夢を見ていたのです。そこは、どうも水の中のようなのです。青い青い水が、きらきらと揺らめいております。天上からは陽光が降り注ぎ、それが水面に跳ねて、ゆらゆらと踊るのであります。
水の中というのに、少しも苦しくなく、冷たくもありません。
だっちゃんは魚のように、すいすいと泳ぎまわりました。「もしもし、だっちゃん、あなたはこんなにのんびりしていて良いのですか。
もうじき、手ごわい敵が攻めて来るのですよ」何処からとも無く、透き通るような声が聞こえてきました。「だっちゃん、平気だよ。みーんな駄パンチでやっつけてやるんだ」だっちゃんが答えると、不思議の声は、「イエイエ、今度の敵は、とても手ごわいのですよ。油断はなりません。
素手で戦う相手ではありません。私が、良いものを差し上げましょう。
これは、とても素晴らしい武器で、あなたが伸びよと言えば、伸び、縮めと申せば縮みます。
その名も、駄んべる棒と申します。
さあ、これがあれば、どんな手ごわい相手でも恐ろしくありませんよ」その声が、だんだんと遠くなり、だっちゃんの目の前がかすんできました。落ちるような衝撃を体に感じて、はっと目を開けると、そこはいつものワンルームでした。「変な夢見ちゃった」ところが、前足にカツンと触れたものがあります。
なんだろうと取り上げてみますと、それはピーピーと音のなる、ダンベル型のおもちゃです。
もしやとだっちゃん、半ば疑い、半ば期待しながら、「大きくなあれ」と呼びかけてみました。
すると、どうでしょう。おもちゃのダンベルは、ぐんぐんと大きくなるではありませんか。
これは面白い!だっちゃんは駄んべる棒を剣(つるぎ)のように構え、エイヤと振りかぶってみました。よい手ごたえを感じます。これで脳天を叩かれれば、どんな石頭でも、ひとたまりもないでしょう。
こうしてだっちゃんは、天下一品の武器を手に入れました。



第十五話 駄い豆真君との合戦の事


新兵器、駄んべる棒を手に入れて、有頂天のだっちゃんのもとに、大慌てで部下の山犬がやってきました。
「駄天大聖さま、てえへんでござりまするだ。またもや天軍が攻めてめえりやしただ。
今度の敵サンは、皆丸顔だけども、恐ろしい目つきをしていますだ」
「よし」
だっちゃん、駄んべる棒をぐっと握り締めて、天空に舞い上がりました。「しつこい奴は誰?」
だっちゃんが雲に乗って駆けつけますと、空には屈強の豆族団がひしめいておりました。
中でも、立派な面立ちをした駄い豆真君が声を張り上げました。
「天界の栗を盗み食いしたという、不届き千万な犬は、その方か。
吾こそは、泣く子も黙る駄い豆真君じゃ。神妙にいたせ」
「だいず・・・?」
お豆は親の仇のように嫌いなだっちゃんは、思わず震え上がってしまいました。
「覚悟せい」
と、駄い豆真君、なにやら袖の下からもぞもぞと取り出したのを見ると、枡であります。
「鬼はー、外ー!」
枡の中より、だっちゃんの大嫌いな豆をバラバラ撒くではありませんか。しかもその豆は、鉄砲の弾のように、だっちゃんを目掛けて向かってきます。
「ぎゃあー!」
だっちゃん、悲鳴を上げて逃げ出しました。初めての敗北であります。
「ソレッ、犬を逃がすな、追え、追え」
駄い豆真君と豆族たちが、後を追います。
「イヤダー、豆はいやだー!」
だっちゃんは、栗きんと雲を神風タクシーさながらにぶっ飛ばします。
「やあ、やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかける駄い豆真君と豆族たち。
進退窮まって、だっちゃんはエイヤと変化の術を使います。
駄い豆真君は、突然にだっちゃんの姿が消えたので、驚きあやしみましたが、
フム、さては変化の術を使いおったナ、どこへ隠れ失せおったと、辺りを蛇のような眼できょろきょろ。
さあ、だっちゃんは何処へ隠れた。



第十六話 変化合戦の事


そそける山に、深い谷、木々は暗く繁りて大河は蒼々という天然の要塞、名無しの山岳地帯。ここはだっちゃん帝国、だっちゃんにとっては己の庭も同然であります。
煙のように消えてしまっただっちゃんは、何処へ隠れてしまったのでしょう。
あの風にそよぐ松か、はては空飛ぶ雁か、イヤサあの谷に遊ぶ猿ではないか。
疑えばきりもありませんが、そこは天上天下に誉れも高き駄い豆真君。
眼光鋭く風景を睨めば、見えたぞ!あの湖の光る魚があやしい!
駄い豆真君、ソレっと呪文をかければ、一瞬にしてその身は大鳥に。
サット翼を広げて急降下。
驚いたのは、鮎に化けただっちゃん。大鳥の口ばしがギラリと輝くのに肝を潰して、今度はエイとばかりに隼に化け、空の彼方へ逃げ出しました。
待てと追いかける大鳥の駄い豆真君。
逃げるだっちゃん隼。
名無しの剣山を、逃げ回ること、七、八回。
埒があかぬと、駄い豆真君、鳳凰に化けたのを見て、だっちゃん今度は地に降り、麒麟に身を変じて疾走です。駄い豆真君は、青龍となって追いかけます。
だっちゃん負けじと百虎に変身して、ウオウと唸ってみせます。
駄い豆真君は玄武になりました。
すると、だっちゃん百虎、ザブンと川へ身を躍らせます。
「ウヌヌ、タイガーだけに、川へ飛び込みおったわ」

さあ、今度は何に化けたのでしょう?!



第十七話 犬合戦の事


見れば、川をざぶざぶ泳いでいるのは、レトリバーであります。
ウム、今度は「犬」に化けよった!
化け比べにすっかり夢中になった駄い豆真君、人気犬種ナンバーワンのダックスフンドに変身しました。こんなに短い足でも立派な猟犬です。
それを見ただっちゃん、得たりとばかりにもとの姿、「秋駄犬」に戻ると、ガウっと威嚇の咆哮。
ダックスフンド真君は、今度はチワワになりました。
そして、あのうるうる目で、だっちゃんの哀れみを誘おうとしますが、
「そんな目に騙されないよ!」
必殺駄パンチが繰り出されました。
やあ、大変。駄い豆真君駄パンチをかわすと、今度は、大きな体格の洋犬になって立ち向かいましたが・・・、
「エイヤー、大和魂を舐めるなー!日本犬は強いんだよ!」
と、体当たりの神風アタック!
駄い豆真君、アイタタタと、元の姿に戻って七転八倒です。
「やや、頭領が危ねえぜ」
駄い豆真君の危機と見た豆族たちは、おのおの懐から枡を取り出しますと、声も勇ましく、
「鬼はー、外ー!」
恐怖の豆まき攻撃です。
だっちゃんは毛を逆立てて、駄んべる棒に伸びよと命じました。
「豆なんか、豆なんか、こうしてくれるんだ!」
大きくなった駄んべる棒をくるくる回転させて、降りかかる豆を防ぎます。駄んべる棒に弾き飛ばされた豆は、粉々に砕けてしまいました。



第十八話 お釈迦様現れる事


天界の神仙たちは、おのおの雲より身を乗り出し、手に汗握って合戦を見下ろしておりましたが、だっちゃんの優勢になった様子に、驚きと恐怖の叫びがあがりました。
「やあ、大変だ。駄い豆真君でさえ敵わぬのなら、もうこの天界はおしまいだ」
神仙たちは嘆きの大合唱です。すると・・・、
「もしもし、これは一体なんの騒ぎですかな」
声がしたのに振り返りますと、そこには金色の後光が差した、尊いお方が佇んでおりました。
そのお方は、黄色味がかった白い毛皮に覆われ、目は鈴のようにポッチリとかあいらしく、片耳がぺろりとおじきをしています。首には、ポチクラブの名誉会員賞のメダルがきらきら。
玉帝は慌てて頭を下げました。
このお方こそ、極楽浄土の釈迦尊八公如来であったからです。
八公如来は、百栗大会に招待され、遅刻してやって来たところでした。
玉帝は、今までの出来事を残らず説明しました。
八公如来は、フムフムといちいち頷いて、
「成程、そのだっちゃんという秋駄犬に手を焼いておるのですナ。では、私が行って話をつけてきてあげましょう」
八公如来は、ひらひらと衣を棚引かせ、だっちゃんと駄い豆真君激戦の地に降りて行きました。



第十九話 天上天下唯我独尊の事


豆のしつこい攻撃に、とうとうだっちゃんは大激怒、背中の毛をピンっと逆立てて、目の色はらんらんと恐ろしく輝いております。もうこうなっては、誰もだっちゃんに手が出せません。
駄んべる棒をぶんぶんと滅多やたらに振り回し、豆族たちはもはや豆まきどころでありません。
ぐずぐずしておると、あの駄んべる棒が頭に飛んで来るのです。
あまりの勢いに、さすがの駄い豆真君も近づくことが出来ません。
「これこれ、そこな犬」
おもむろに、天空から有り難い声が響いてきました。
だっちゃんが空を見上げると、金色の光を放つ、八公如来の姿がありました。
「なんだ、ハチ公か。だっちゃんに何の用さ?」
恐れもせずに、だっちゃんは声を張り上げます。
八公如来は穏やかに話しかけました。
「そのほう、どうしてそう暴れるのだ。暴力はよくないゾ。秋田犬は善良でおとなしい犬だと、秋保の小父さんも言っているでハナイカ。評判を落とすような事をしてはいかん」
「大きなお世話だよ!あんたが忠犬だなんて有名になるから、だっちゃん達後の世の秋田犬が迷惑するんだ!だっちゃんは心がないから中犬なんだ。だからだっちゃんになったんだよ!」
「そのほうの言い分も分らんではないが、少しはワシにも感謝せい。ワシの知名度のおかげで、秋田犬の得になっている部分もあるのだからナ」
「そうかもしんないけど・・・、でも、今度のこととは関係ないんだから、ほっといてよ!」
「イヤイヤ、同族のそなたの暴れん坊ぶりを見過ごしには出来まい。そう暴れて、どうしようと言うのだ?この世の支配者にでもなる気かね」
「この世は弱肉強食だよ。強い者がエライんだ。だっちゃんは、この世で一番強いよ。天界の神様だって、だっちゃんには敵わないんだから。それなのに、皆神様仙人ってだけで偉そうにするんだ。そんなん気に食わないよ!」
八公如来は、だっちゃんの言い分をとくと聞き届け、ゆっくり頷きました。
「そうか。そなたの言いたいことはよっく分った。では、こうしようでないか。お前がそんなに強いというのなら、私の、この前足の上から外へ飛び出すことが出来るかどうか、やってご覧。お前が私の前足から飛び出すことが出来たなら、お前がこの宇宙で最も強いのだろう。それならば、玉帝陛下にもよくよくご説明して、退位をお勧めし、そなたの好きにさせてやろう、ドウダネ」

八公如来の不思議な申し出に、こんなうまい話はないぞと、だっちゃんはほくそ笑みました。
八公の前足がどんなに大きかろうと、その上から飛び出すことはわけもありません。だっちゃんの栗きんと雲は、一万八千里もひとっ飛びなのですから。

「いいよ、だっちゃんやるよ!」

すると、八公如来は前足を差し出しました。だっちゃんは、そのプニプニした肉球の上に飛び乗ると、エイっと掛け声勇ましく、栗きんと雲で飛び出しました。いやその速いこと速いこと。
ビューンと疾風となって空へ駆け出します。

「どんなもんだい!」

だっちゃんが一息をつくと、辺りは見たこともない景色が広がっています。
すぐ側に、雲がふわふわと泳ぎ、星が手の届きそうなほど近くに光っております。
奇妙な形をした丘が、大きいのがひとつ、小さいのが四つ連なっていて、だっちゃんは、その内の一番大きな丘の上に立っていました。
「きっと、ここが宇宙の涯てなんだね。よーし、確かに来たって証拠を残さなくっちゃね!」
だっちゃんは、丘の上にマーキングすると、豪快に駄ハハと笑ってみせました。

「さあ、ハチ公ん所戻ろうっと」

だっちゃんは栗きんと雲に乗って、一瞬の内に、八公如来の前足の上に戻って来ました。

「どう?だっちゃん、宇宙の涯てまで行ってきたよ!」
意気揚々と告げるだっちゃんに、八公如来は一喝、
「たわけ!そなたはただの一歩も、私の前足から外へ出られなかったでハナイカ!」
「何言うのさ!だっちゃん、ちゃんと宇宙まで行ったよ!証拠だってあるんだから。
嘘だと思うなら、これから一緒にそこまで行こうよ!」
「その必要はないぞ。さあ、私の肉球の、このニオイを嗅いでみい」
言われて鼻をくんくんさせれば、これは間違いなくだっちゃんのシッコの臭いです。だっちゃんは愕然として声も出ません。
「あれほど大きなことを言っても、所詮そなたはこの世の小さな存在に過ぎぬのだ」
八公如来の声ががんがんと頭に重たく響きます。
その声の重みが、いつしか体にずっしり圧し掛かったかと思うと、だっちゃんは、自分の生まれたあの大きないが栗の、下敷きになっていました。いが栗はがらがらと音をたてて、次々と空から降りかかります。いが栗は岩となり、大きな山ができました。・・・・・・・・・



「それが天罰ってやつだった。だっちゃんに圧し掛かったいが栗は、このいがいが峠となったんだ。
だっちゃんのことは、いつしかこの辺りに住む者たちの言い伝えになってしまった。峠を渡る旅人は、きっとだっちゃんの噂をしながら通り過ぎる。里の村人は、今でもだっちゃんのことを、伝説として子供らに語り伝えている。
あれから、もう五百年だよ!」

「五百年!」
だっちゃんの、長い長い物語が終わって、栗萬法師はただもう呆れるばかりです。
「五百年も、こんな岩穴のなかにいるんけえ!」
「そうだよ。でも、だっちゃん、泣かなかったよ。だっちゃんは強いもん。
それにね、このいがいが峠に幽閉されること四百年目のある日、栗萬大菩薩がだっちゃんの前に現れて、こう言ったんだ。あと百年待てば、きっとここから出られるって!だっちゃんをここから出してくれる者がやって来るんだって!」
「四百年前の百年後というと、丁度今だね。いったい、どんな奴が出してくれるんだい!」
「西方へ有り難い栗の木を取りに行く坊さんだって。栗まんじゅうみたいな顔をしている坊さんがここを通るんだって。そいつが、だっちゃんを出してくれるって話なんだ!」

「・・・・・・・・・」

思わぬだっちゃんの発言に、栗萬法師は吃驚仰天。だっちゃんの言うのは、すなわち自分のことではありませぬか!あまりのことに、どんぐり眼がウロウロ。



第二十話 だっちゃん弟子となる事


「それは・・・、おらのことらしいよ」
栗萬法師は、恐る恐る言いました。だっちゃんは意味が分らないらしく、変な顔をして、
「え?何がおらなの」
「だからサ、その・・・、西方へ栗の木を取りに行く坊さんサ」
「ウン?」
「それは、おらのことだよ」
「エッ?」
だっちゃんは岩穴から顔を精一杯突き出すと、栗萬法師の顔をじっと覗き込みました。
「あ、ほんとだ!栗まんじゅうだ!栗まんじゅうソックリだ!じゃあ、あんたがだっちゃんを助けてくれるんだね!早くここから出してよー!」
「出すって・・・どうすりゃいいんかね」
「この石牢を登るとね、上にお札が張ってあるんだ。封印のお札だよ!その札が貼ってある限り、だっちゃんはここから出られないようになってるの。
そのお札は、決められた者にしか剥がせないように呪文がかかってるんだよ。
それをあんたが剥がして来てよ!早く!」
「そのお札を剥がしてやったら、おめえさん、どうするだね」
「ここを出て自由になったら、あんたの旅のお供になって、熊除けのお守りになってあげるよ!」
だっちゃんがしきりに早く早くと急かすので、栗萬法師はよいこらせと岩をよじ登りはじめました。
落っこちないように、岩場へしっかり足をかけ、よいせよいせと登ります。
「早くー!」
と、下からはだっちゃん矢の催促。
「ちっと待ってくんな。急かさねえでくんな。あぶねえから・・・」
ようやくお札の貼ってある所へ辿りつきましたが、高所の恐ろしさの為に、栗萬法師の後ろ足はプルプル震えました。
あ、これだな。とっとと剥がしちめえ、おっかなくてかなわねえや、栗萬法師は心に呟きながら、ばりばりとお札を剥がしてしまいました。
すると、突然岩場がぐらぐら揺れ出したではありませんか。
地震か?サア大変。栗萬法師は必死になって岩壁にへばりついたのですが、
ばーんと大きな爆音と共に、山はがらがらと崩れだしてしまったのです。
「ひゃー、おっかあ、おっかねえよう」
栗萬法師は悲鳴と共に弾き飛ばされ、もくもくとあがる煙に飲み込まれて、何が起こったのか分らなくなってしまいました。

「もう、だらしないなー」
何処からか聞こえてくる声に、栗萬法師はようやく意識を取り戻しました。
辺りを見れば、見事にいがいが山が崩れていて、あちこちに岩が転がり、木と云う木はなぎ倒されている有様です。そんな地獄のような景色の中に、だっちゃんは悠然と佇んでおりました。
「ああ、おらは生きているんか・・・」
「もう、寝ぼけないでよね。ほら、ちゃっちゃと行くよ」
「馬は・・・、伽弟楽は・・・」
「馬ならそこにいるよ」
あの山崩れをどうして逃れたのでしょうか、だっちゃんの指差すほうに、ちゃんと伽弟楽の姿がありました。
「さあ、どんどん歩くよ!」
五百年間のあまりにあまった力を爆発させて、だっちゃんは清々しく笑いながら、いざ西方へと矢の催促です。目の前には、前途がまだまだ長く続いているのでした。


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